2024年12月1日(日曜日)午後1時30分より、シーモールパレス エメラルドの間にて、一般社団法人梅光学院同窓会「第2回会員の集い」を開催いたしました。
今年はクリスマス時期の開催ということで、礼拝からはじまりました。
礼拝の司会は、藤原敦子さん(高25 大7日 院前2)
奏楽は、杵築奈央さん(高66音38)
前奏、チャペルチャント、そして讃美歌「ひさしく待ちにし」「まきびと羊を」
聖書朗読は、ルカによる福音書でした。
下関西教会、下関彦島教会の加藤俊英牧師にお話をいただきました。メッセージの要約をご紹介します。
「愛の讃歌をあなたに」 ルカによる福音書 2章13〜14節
加藤俊英(下関西教会/下関彦島教会)
メリークリスマス! クリスマスおめでとうございます。
毎年のクリスマスに私たちはこのようなお祝いの言葉をもって挨拶を交わします。クリスマスが見事に定着した、私たちの住む国においてはクリスチャンでなくとも多くの方がこのお祝いの言葉を口にします。では、クリスマスは一体、何がめでたいんでしょう? 救い主が来ているのに私たちの状況や私たちの世界ってイマイチだと思いませんか? 自分が生きていく中で苦しみや悩みはついて回るし、世界では戦乱や貧困で命が脅かされる人が大勢います。救い主が来ているのだったらもう少しマシな世界にならないだろうか、と思わないでしょうか。
ルカによる福音書によれば救い主の降誕は天使によって知らされています。そして、先駆者の父と救い主の母を除けば、天使が神への讃歌をもって、救い主の降誕を真っ先に告げたのは羊飼いたちでした。なぜ羊飼いたちだったのでしょうか。
クリスマスの物語に羊飼いが登場する場面を思い浮かべるならば、牧歌的で平和な印象をうけるかもしれません。しかし、この時代でのイスラエルの羊飼いという職業は、昼夜を通しての、きわめて過酷な労働であったばかりでなく、当時の社会において最底辺の職業として差別を受ける存在でした。また、彼らは仕事の性格上、安息日や律法を守りたくても守れない人々でした。羊飼いたちは社会において信仰的にも、経済的にも差別され、苦しみの中にいた人々でした。そのような羊飼いのもとに、神は真っ先に天使を遣わしました。
天使からの告知と讃歌を聞いた羊飼いたちは、ベツレヘムに向かい救い主を探し当てます。そして20節にあるように「見聞きしたことがすべて天使の話したとおりであったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行った。」と記しています。羊飼いたちについての記述はここで終わっています。この物語の後、帰って行った羊飼いの暮らしはどうなったか、私たち読み手の想像に任されています。そしておそらくこの後も羊飼いを取り巻く状況というのは何ら変わることはなかったでしょう。羊飼いたちを取り巻く現状は変わらず、社会的な意味においても、信仰的な意味においても、人々から差別されるという状況は変わらなかったと考えられます。
では、変わらない現状の中で、羊飼いたちは何ら変わるところがなかったのか。決してそうではなかったはずです。確かに羊飼いたちを取り巻く現実の状況は変わらないけれども、羊飼いたちは、自分は確かに神に覚えられていることを喜びとし、平和の救い主が確かに自分と共にいるという神から与えられた現実を喜びとしながら生きて行ったはずです。
羊飼いたちが経験したクリスマスの出来事は私たちにもゆるぎない事実として与えられています。羊飼いに与えられた神からの愛の讃歌は、この世の現実を旅する私たち一人一人に与えられているのです。そして、私たちに問われているのは、たとえ自分を取り巻く現実が厳しいと感じるとしても、羊飼いたちのように救い主の誕生を喜び、その救い主が自分と共にいることに感謝し、神への賛美を口にしながら生きていますか、ということなのではないでしょうか。
苦しみのなかにこそ、まず救い主が現れる、そのように聖書が伝えるクリスマスの恵みが一人一人に確かに与えられていることを喜びとして、日毎の歩みを続けていきましょう。
また、礼拝ではハンドベルグループBell feliceのみなさまによる特別賛美として讃美歌98番「あめにはさかえ」が演奏されました。
中山敦先生の指揮による全員でのハレルヤコーラス、後奏は讃美歌109番「きよしこの夜」がハンドベルで演奏され、静かなクリスマスの時間を過ごしました。